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故三島由紀夫氏
投稿者:宇河也仁仙 投稿日:2010年10月25日(月)01時00分17秒 p3230-ipbfp205kagawa.kagawa.ocn.ne.jp三島氏は 『文化防衛論』の中で
すべての文化はその国の国土が産み出したもので、
その気候、風土に 因って立つものである。
国土と文化は 身体と精神の関係である。
よって文化を守るためには 国土も守らなければならない。
と主張しています。
そして 彼が『楯の会』を作る前に
民兵組織『国土防衛隊』を作ろうとしたが
資金的に苦しかったため 挫折し
大幅に縮小した 『楯の会』を作った事は
1部の人間しか 知りません。
WIKIにも書いていません。
彼は改憲論者でも ありましたが、改憲は現実では 不可能に近く
この国の憲法改正は 左派、もしくは右派の
軍事クーデターによってしか実現しないであろう とも考えていたのです。
彼は 1文化人であったならば 引き返す事ができた。
しかし楯の会を組織した事で 戻れぬ橋を渡ってしまったのです。
彼の師であり、後見人でもあった 川端康成氏は
晩年 三島の手をなぜ離してしまったのか 悔やんでいたと言います。
また 彼は いわゆる『右翼』をはっきり蔑んでいました。
彼の遺作であり、ライフワークでもあった『豊饒の海』を読んで見て下さい。
そこには輪廻によって愛国少年や テロをおこなう青年など
すべて 若くして熱情のうちに 死んでいく人々が描かれています。
三島の分身たちでしょう。
老いが自分にやってくる前に 若くして死ぬ事が
そして 憂国のうちに死ぬ事が 彼の願いだったのでしょう。
それでは、また。